ヤミノナカネコノナキゴエニメザメルナユキ

 春は猫の発情期である。夜中に盛んに鳴いている猫の声を、誰でも耳にしたことがあるだろう。

 水瀬名雪もまた、猫の鳴き声に悩まされる一人だった。彼女は無類の猫好きであるから、猫が鳴いているのを聞くといたたまれなくなるのだ。

 猫は悲しいから鳴いているのだと、名雪は勘違いしていた。実際はそうでなくて、発情して相手を求めているから鳴いているのだった。

 そして猫は、鳴き声を聞くと発情するのだという。

 今日もまた、猫がうるさい。音から察するに、近所で鳴いているのだろう。名雪は既に寝床に入っていたが、今日は胸が騒いだ。

 いや――今日だけではないのだ。

 ギシ……ギシ……

 違う音が聞こえた。それは、従兄妹と、その恋人の女の発する音である。

 ギシ……ギシ……

 ベットの軋む音がする。甲高い女の声が、名雪の耳に僅かに聞こえてくる。

 同じように、猫が外で、相手を求めて鳴いている。

 声、音、声、音、ギシギシ……ギシギシ……。

 名雪は枕代わりのけろぴーに、顔をうずめた。早く眠ってしまいたい。逃げてしまいたい。この音から、この声が聞こえなくなるくらいに、遠い夢の中に。

 猫がひときわ高く叫んだ。今日は、猫の叫び声が一段と激しい。それに呼応するかのように、恋人たちもまた、激しく音をたてる。冬を越えて結ばれた二人の愛は、いつも激しく燃え上がる。荒い息遣いと、体と体のぶつかり合う音が、名雪の頭に響く。

「もう嫌だよ……」

 一人、名雪は暗中につぶやく。

 と、そのとき……。

 一匹の猫の影が、ベランダに差し込んだ。

「……?」

 ベランダの手すりに、猫が音も立てずに降り立った。名雪に興味を示したのか、猫は、名雪の顔をじっと覗いている。

「ねこさんだ……」

 名雪のつぶやきに応じるように、いや、まるで名雪を誘っているように、猫が鳴き声を出す。

 自然と猫を招きいれようと、ベットから起き上がり、名雪はベランダの戸を開ける。

 が、猫アレルギーなのを思い出し、名雪は自分の部屋の中に入れるのをためらう。

「あっ……」

 思わず名雪は息を呑んだ。

 猫はそのしなやかな動きで跳躍すると、躊躇う名雪の目の前に躍り出た。

「ダメ……なの。わたし……」

 ――猫を膝に抱えてあやしたい。ほんのちょっとだけなら構わないだろう。

 そんな気持ちになるが、名雪は小さい頃にほんのちょっとの気持ちで猫を抱いて、ひどい猫アレルギーを起こして大変な騒ぎになったことを思い出した。

 やっぱり手を伸ばして、猫を膝に乗せるのをやめる。

「ごめんね……わたし、猫アレルギーだから……」

 そう言って、猫と別れを告げて、ベランダの戸を閉めようとするが、またしても名雪は驚くことになる。

 猫は名雪の側を通り抜け、勝手に部屋の中に入っていってしまったからだ。

「あっ……こま、困るよ猫さん……っ」

 必死に猫を追い出そうと、名雪は手をわたわたさせる。

 だが猫は、近くにあった座布団を定住の位置としたのか、そこに居座って、それから動こうとしない。

「困ったよ……」

 猫と名雪のにらめっこは、しばらく続いた。

 いや、猫は名雪を見ておらず、ただ座布団に座っているだけなのだが。随分人なれしているのか、人が近くにいるというのに身じろぎ一つしない。

 名雪は途方に暮れた。

 ――祐一に助けを呼ぼうか。

 だがそれは躊躇われた。祐一は今頃、恋人と体を重ね合わせているだろうから。依然、鳴り響くベットの軋み音と息使いは止まない。いったい、いつまでやっているのかと呆れてしまう。

 猫が、甲高い声を上げた。

 名雪はその声にぎょっとして、思わず声を漏らしたが、祐一には聞こえていないだろう。何故なら、それと同じように、女の甲高いあえぎ声もまた響いたからだ。

 二人とも声を殺しているとはいえ、その声ははっきりと聞こえた。

 ほっとして胸をなでおろしたのと同時に、胸がさっきより痛んだ。

 もう名雪は泣きたかった。祐一に助けを呼べない。猫はいる、猫はうるさい、猫と……遊びたい。なのに自分は猫が苦手。

 自然と涙がこぼれた。男と女の肉体がぶつかり合う音が、ギシギシと鳴り響く。

 荒い息づかい。耳元で祐一の吐息を吐き掛けられているような錯覚さえ抱く。だが、その相手は自分ではない。そう自分ではないのだ。猫がうるさい。猫もその声に応じるかのように鳴いている。

「猫さん……」

 もう嫌だった。何も考えたくなかった。祐一のことが好きだったのに。そんなことも忘れてしまいたい。何も考えず、何も。

「ねこさん……」

 名雪は猫を抱いた。温かい猫の感触に思わず、笑みとそして大粒の涙がこぼれる。つらくて苦しくて涙が止まらない。

 ――ああ、なんだろう。何してるんだろうわたし。

 名雪のパジャマが乱れていく。あふれ出る涙が止まらない。

 猫を抱いて、泣きながら戯れる。戯れ乱れるたびに名雪の肌が露になっていき、やがて何も纏わぬ姿になったとき、自身からあふれ出る獣性に怯えを感じつつも、それを甘受し、なお猫を求め続けた。

 ――わたしは、猫を慰め物にしている。

 お互いが唾液まみれになり、涙でぐしゃぐしゃになりつつも、猫を露になった乳房にすり寄せて、名雪は交わり続ける。

 女が絶頂を迎えたのだろうか、今までで一番甲高い嬌声をあげる。その声とともに、名雪もまた猫とともに鳴いた。

<終>

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