――昔、昔、あるところに一人の女の子がいました。
小学生の頃、私の学校には一人暮らしの老人の家を訪問するという行事があった。当時の私は、その行事が嫌いで、仮病まで使おうかと思ったくらいだった。まぁ結局は皆勤賞目当てに行ったのだが。
老人の家といえば、当時の私はゴキブリ・ネズミ・猫の徘徊するお化け屋敷のような歪んだイメージを抱いていた。人の家というのはそれぞれ独特の匂いをかもし出しているが、特に老人の家というのは汚い、臭いというイメージが私の中で強かった。
あの時も私は、同じクラスの仲の良いグループで、ある一軒の老人宅にお邪魔したわけだが、安アパートを目の前にして、迫り来る異臭に大きく身構えたものだった。
一人暮らしの老人というのはその孤独感からだろうか、ペットをよく飼っていたりするのだが(それで猫屋敷になっていたのが私の祖父の家だ。そしてそれが異臭の元だった)、あの老人の家は猫も犬も誰もいなかった。ただ、やけに立派な仏壇が置いてある家だった。
老人は快く私たちを出迎えてくれた。やけに腰のひん曲がった婆様だというのが第一印象だった。お菓子も振舞ってくれたが、私は手を付けなかった。何となく臭そうで食べたくなかったからだ。まったく嫌なガキだ。
たった1時間程度の訪問だったが、私は逃げるようにアパートの外に出て、大きく息を吸い込んだ。老人の家の空気はアレルギーのように嫌で嫌でしょうがなかったのだ。
数日たち、私たちは学校で、手紙を書いていた。
老人宅に訪問した後は、その老人に宛てて手紙を書く。どんな文句をつけてやろうかと考えた末、私はグループの連中のウケを狙うつもりで手紙を書いた。
"拝啓、婆上さま。染み入るようなお菓子をありがとうございました。なんだか昔にあったような気がしました。不思議な縁を感じました。きっとこれも運命なのかもしれません。"
せっかく辞書をひいて、漢字を調べてまで書いたのに、グループの連中にはあまりウケなかったが、そのあと婆上さまからの返事の手紙に私たちは度肝を抜かれた。
それが、妖怪『たい焼き婆』とのはじめての手紙のやり取りだった。
――羽根の生えたその女の子は、まだ空を飛べませんでした。でもいつも夢を見てる。その少女は夢の人。
「おい、妖怪婆さんが出てきたぞ」
仲間の一人が私たちに来いよ、と手で合図を送る。
学校帰り、私たちは陰に隠れて婆様がアパートから出てくるのを待った。
あんな手紙を貰ったのだ。好奇心が人の二倍以上も旺盛だった当時小学4年生の私たちは、婆様の素行を探る目的で(実際はただの探偵ごっこなのだが)、尾行することにした。
「まさか婆様まで運命を感じたとか、書いてくるとは思わなかったよなぁ」
仲間の一人が、婆様を尾行しながら、私にささやいてきた。
正直私も驚いた。婆様まで、『昔あった気がしました。不思議な縁を感じました。きっとこれも運命なのかもしれません』なんて返事をよこしてくるとは思わなかったからだ。まんまと婆様に一杯食わされた。何故だか、そんな気分だった。
婆様は商店街に向かっていった。私たちも電柱の陰に隠れて、探偵気分を満喫しながら、婆様の後をつけていった。
腰のひん曲がった婆様の歩みは遅く、30分近くかけてようやく商店街にたどり着いた。途中、婆様が横断歩道を渡ろうとしたとき、赤信号に変わって、見ているこっちも冷や冷やしたものだった。
やがて婆様が商店街の一角にあるスーパーから出てきた。私たちもその後を追っていった。
はずだった。
「おいしいか?」
「あ、ハイ……おいしい……です」
私たちは婆さまに恐縮しつつたい焼きを頬張っていた。いつから気付かれていたんだろう?
「アパートからずっとつけてたじゃろ」
どうやら探偵失格らしい。私はそのときそう思った。
私たちが食べているたい焼きは、婆さんから貰ったものだ。曲がり角でたい焼きの包みをもって"待ち構えていた"婆さまが「やる」と一言だけ言って、私たちにくれたのだ。
「学校の帰りか?」
婆さまの問いに、私たちはそれぞれはい、と頷いた。
「それ喰ったら、もうお家にお帰り。お母さんが心配しとるよ」
そう言って、婆さまはよっこらしょっとひん曲がった腰を上げて、立ち上がった。立ち上がるのを手伝おうかと思ったが、なんだか気が引けた。
その日の晩御飯はあんまり食べられなかった。婆さまに、たい焼きを一杯食わされたから。
――女の子はいつも夢を見ています。いつか羽ばたくその日を夢見て
婆様との物語はここで終わらなかった。
一ヵ月後のことだった。私の家宛に一通の手紙が届いた。
あの婆さまからだった。差出人「婆」と書かれたその封筒の封を開けると、中から一枚の手紙が出てきた。
"――昔、昔、あるところに一人の女の子がいました。"
「おい、婆さまから手紙が届いたぞ」
私の声に、仲間がみんな集まってきた。そしてその手紙の内容を見て、一様に訝しがった。
……これは、なにかの御伽噺なのだろうか?
" ――羽根の生えたその女の子は、まだ空を飛べませんでした。でもいつも夢を見てる。その少女は夢の人。でも女の子。"
私たちは、またあの婆さまのところに行った。そしたらまた、たい焼きをご馳走してくれた。
「婆さん、あの手紙って何なの?」
「続きが気になるか?」
「うん」
「また送ってやるから楽しみにしとき。そしたらまたおいで」
――女の子はずっと待っています。来るはずのないと分かっている人を。でも……。
「おい、妖怪『たい焼き婆』からまた手紙が届いたぞ」
婆さんとの手紙のやり取りは半年にわたって続いた。その手紙には物語が綴られており、私たちはその続きをとても楽しみにしていた。その手紙をもっていったら、婆さんはいつもたい焼きを振舞ってくれた。
いつしか私たちの間では、婆さんのことを妖怪『たい焼き婆』と呼ぶようになっていた。妖怪なのは、そのまま妖しいからだ。全部手紙の物語を聞くと、物語の世界に連れ去られるのではないか、と子供心に変な想像をした。
それだけ、私たちは婆さんの話しに、心をさらわれていたのかもしれない。
「うまいか?」
と婆さんは、いつもたい焼きを食べるときに、私たちに訊いてくる。
「うん」
そしたら婆さんは私の顔をまじまじと見つめてくるのだ。なんていうか懐かしいもの、その面影を確かめているような、そんな様子であった。
「どうした婆さん? 俺に老いらくの恋でもしたか?」
「年寄りを冷やかすもんじゃないよ」
婆さんは頑固そうでしわくちゃな顔をしてたが、少し破顔したような、気がした。
今なら、なんとなくだが婆さんの心境が分かるような気がする。
一人身の孤独。そして迫る死期。それを予感していたのだろうか。それは私たちもなんとなくだが感じていた。婆さんの手紙からにじむ”匂い”からだろうか……。
だが、そのときの私はそれがよく分からなかった。だから、
突然の訃報を聞いて、私たちは愕然とした。
妖怪『たい焼き婆』からの手紙が途絶えて一ヶ月、心配になった私たちは、婆さまのアパートに走った。
そして、アパートを管理する大家さんから、そのことを知らされたのだ。
「月宮さんなら先日亡くなられたよ」
そのときの私は、たい焼き婆が亡くなったことよりも『月宮』という、ちゃんとした名前があることに、まず驚いた。
婆さまから送られてきた最後の手紙を、私は握り締めた。
”――女の子はずっと待っています。来るはずのないと分かっている人を。でも……。”
物を溜め込む年寄りの性分からだろうか、たい焼き婆は、私たちにいろんなものを残していった。
思い出と、たくさんの手紙。そしてノート。
そのノートには、婆さんから送られてきた物語が書いてあった。でも、あの後の続きは書かれていなかった。婆さんにとっても突然だったというわけだ。
高校生の頃、親に内緒で譲り受けたノートに書いてあった婆さんの生まれ故郷に、一人で向かった。あの時の仲間は引越しやらなにやらで、散り散りになっていた。自分の住んでいる場所から、はるか北にある町は、夏だというのにどことなく肌寒かった。
婆さんの墓はやたら立派だった。先祖代々の永大供養なのだろうか。手入れもしっかりされていた。……自分が死んだ時の準備を、婆さんは念入りにやっていたのだろうか。
自分が死んだ後のことを考えるのはどんな気分なのだろう? そのときの私にはどうしても考えられなかった。
時がたち、私は成人を向かえた。
今、私は婆さんからの手紙をまとめている。婆さんから送られてきた物語、その続きを……私はどうしても完成させたかった。
婆さんはどうして故郷の町からこっちにきたのか? 婆さんは何をやっていたのか? 婆さんのことは何も知らない。ただ残されているのはこの手紙とノートだけである。
婆さんのノートに私はその続きを綴った。そして、ようやく完成した『たい焼き婆』の物語に、私はノートの表紙に、物語を冠する言葉を綴った。
表題をつけ、私は物語を読み返す。しばし、私は思い出に還る。
――これは、羽根の生えた女の子のお話。
<終わり>