「グゴオオオオ……」
今日も水瀬家に、名雪の女を止めたような雄たけびが響いた。
(うるせぇ……)
ベットで寝ていた祐一が、隣の部屋で寝ている名雪に愚痴た。
さしずめ、猛獣の唸り声である。
「ズゴゴゴ……グシュルルル……ズピー……」
だんだんと、声が小さくなっていく。無呼吸状態に入ったようだ。
(おおーい……死んだかーー……?)
ちょっと祐一は心配になる。
「ズゴ………………………ガッ!! グシュルルル……」
再び、五月蝿い鼾を、名雪がかきはじめる。
睡眠障害者である名雪は、鼾が酷かった。
さらに、
キリキリキリ……
歯軋りも酷かった。
(うるせぇ! うるさいぞ名雪!)
祐一は、枕に深く頭を沈めた。
(こりゃ、名雪をもらう男は、大変だなぁ)
しみじみと思った。
プゥ!
(寝屁まで……)
名雪の最後っ屁を、眠りに落ちる前に祐一は聞いた。
次の日。
名雪を起こしに行ったときのこと、
「ぐおー……ぐおー……」
名雪はいびきをかいて寝ていた。
「あっ、こいつ、けろぴー人形によだれ垂らしてやがる」
名雪が枕代わりに使っているけろぴー人形の頬の辺りに、よだれの垂れた後があった。
「ばっちいな。洗っといてやるか」
祐一は名雪からけろぴー人形を剥ぎ取ったのだが、そのとき魔が差して「女の子のよだれってどんな匂いかな~臭いのかな~?」とか思って、匂いを嗅いでしまい、
「くっせっ!」
思わず叫んだ。
一般に朝起きた状態が、一番唾液の分泌量が少なく、口が臭い。唾液の分泌が少なく、雑菌が口内で繁殖するためである。睡眠障害を起こし、いびきが五月蝿い人間の口は特に臭い。
名雪を可愛いという生徒も多いが、これを嗅いだら、その千年の眠りも恋と共にさめるかもしれない。
少し、いや、かなり祐一は後悔した。
(まぁ、いいや。可愛い従兄妹だ。痘痕もえくぼっていうじゃないか)
祐一は名雪をゆっさゆっさと起こしてやるのだった。
堂に入った祐一のテクニシャンな右手の指使いで、名雪がピクンと反応して起きてくる。
「ふぁ……ん……」
可愛らしい生あくびを発し、名雪が起きてくる。
「はぁん……祐一ってば……やだぁんっ……耳なんてダメ……」
名雪が妙な声をあげ、妙なことを言い出す。
どうやら名雪は幻覚を見ているらしかった。
「おおーい……」
まだ糸目の名雪に、祐一は声をかける。
「わたし……」
「なんだ?」
「うん。祐一のお嫁さんになる……」
「お、おい! 俺がいつプロポーズしたんだ!?」
名雪の夢の中では、なにか大変なことになっているらしかった。
「おなかの赤ちゃんのために……」
既に名雪はお手つきだった。
「はい……永遠の愛を誓います……」
誓いのキスの寸前まで、式が進行しているらしかった。
(早えーよ、夢の中の俺……)
手をつけるのも、祝言挙げるのも。
そうして、名雪が唇を差し出す。
「マテマテマテマテ!」
「酷い……祐一が逃げた……」
(夢の中で、俺が貶められている……)
「みーつけた」
見つかったらしい。
もっとがんばれとか、思った。
「27年、ずっと追いかけて探したの……」
すごく名雪は、執念深かった。
「ちゅっ」
名雪が祐一に口づけした。
そして二人を、名雪の部屋にある大音響の目覚まし時計が、一斉に祝福する。
狂ったように、30以上ある鐘とベルが鳴りまくる。
ラッパを吹いている天使の目覚まし時計が、5,6個ほどぐるぐる回っている。
(…………)
音を止める気にもならず、祐一は呆然としていた。
また、匂いを嗅いだ。
ちょっと臭った。
これで舌が入ったら、いろんな意味で、天に召されていたかもしれない。
(まったく、ベットの上の名雪は、いろいろお騒がせで激しいぜ)
朝から、いろいろ萎えた祐一であった。
その後、秋子さんは普通免許でも運転できる4tトラックに轢かれて、意識不明の重体となるのだった……。
【終】